楽しかった教会学校の思い出

武藤 淑子

 今からもう七十年前のことです。小学生の

私は函館元町教会の「海の星こども会」とい

う教会学校の子どもでした。その名前のとお

り、教会の庭から広い青い海が見渡せました。

花いっぱいの広い教会の花壇、司祭館前の大

きな合歓(ねむ)木、教会の高い尖塔、裏に

は岩でできた大きなルルドがあり、マリア様

が高い所に立っておられ、その下は暗い洞窟

になっていてコウモリの巣がありました。

 教会の中はとても立派でした。海の星こど

も会の歌は聖歌集の「そらのかなた」でした。

フランス人の神父様と聖パウロ修道院(白百

合)のマスール(シスター)がいらっしゃい

ました。戦後のベビーブーマー世代ですから

教会の中も子どもでいっぱいでした。週に何

回も教会学校に通ったように思います。

 マスールは函館の田舎の少女の私には憧れ

でした。きれいな東京弁、聡明さと上品さ、

母よりずっと優しいしピアノも上手でした。

ある時、マスールは「きちんと祈る子は、お

口から花びらが飛んでいるように見えます」

と言われました。あとで、そうなっているか

母に障子越しに見ていてと頼みました。何度

も試しましたがダメでした。また「ご聖体を

噛んではいけません。お口から血が流れます

よ」と。さすがに怖くて試しませんでした。

マスールからは、大切な心の躾を教わったよ

うに思います。

 当時はいろいろな行事もありました。一番

強い思い出は聖体行列でした。教会を出発し

て、それは長い行列で練り歩きました。天幕

の中に神父様たちがご聖体を掲げておられま

した。私たち少女は花篭を持ちその花びらを

何かのタイミングで御聖体に向かって投げ掛

けました。最後に教会隣接の白百合女学校グ

ラウンドに戻りますが、そこには祭壇が用意

されていて、何と地面には花々で描かれた聖

画が! この時の私たちは白いドレスにベー

ルに花の冠です。皆に、可愛い可愛いと言わ

れるのが嬉しくて大好きな行事でしたが大変

疲れるものでもありました。

 小学2年生の時、初聖体を受けました。母

や叔母が用意してくれた刺繍いっぱいのお鞄

にはベールやお祈りの本やロザリオが入って

いました。ロザリオは緑色のガラス玉で、と

てもきれいでした。初聖体を受けた後、祈祷

書の「御聖体を受けた時の祈り」という祈り

を開くと、母が書いてくれたご絵が挟まって

いました。「イエズス様、いつも私の心にい

て下さい」と書かれていました。急に涙がこ

み上げて泣いてしまいました。なぜ泣いてし

まったのか、自分でも不思議でした。この体

験は忘れられません。

 当時、教会のミサの言葉はラテン語、大き

なミサはラテン語のグレゴリアンミサ曲でし

た。グレゴリアンを大人の真似をして歌うの

が楽しくて母にもう1冊、聖歌集を買っても

らったほどでした。侍者をする弟は、たいて

いのお祈りをラテン語で覚えて自慢していま

した。後日、大人になっての趣味の合唱人生

ではこの経験がおおいに役立っています。グ

レゴリアンは今ではクリスマスに少し歌われ

るくらいで寂しいですが、ラテン語聖歌と共

にしっかり私の心に今も根付いております。

 小学生時代の教会の子どもたちは、周りの

大人にしっかり支えられて、いろいろな行事、

たとえばクリスマス、復活祭、聖人のお祝い

日毎に歌や劇や作文、お手紙やお絵描き、そ

れらで育てられました。特に戦後の誰もが貧

しかったあの時代に、本当の心の豊かさを親

以外からもたくさん受けられたことは、特別

なお恵みだったと思います。子どもであるが

故、そのお返しはその時のお世話になった

方々には何もできませんでした。こうして

七十年も経って思い出すそのありがたみ、同

時に今は亡き父母や大人たちを思うと心のど

こかが疼くのを感じます。が、あの時、たく

さん甘えて、子どもらしくのびのびと楽しく

過ごせたこと、私たちの笑顔そのものがお返

しだったのよ、って、大好きなマスールが

言ってくださっているかもしれません。

 教会学校、それは特別な豊かさに満ちた愛

の学校です。ちっぽけな子ども一人に何人も

の立派な大人が関わってくださっています。

そこから得られるものは、ずっと後になって

分かるのです。七十年もかかって分かった私

のように。(元町教会の記憶は子どもだった

私の記憶ですし今はまったく変わったものに

なっていることでしょう)

 

 2024年6月23日発行 広報誌「ふらんしすこ」より