お化け煙突
濱田 了 神父
この4月7日にこちらに来た濱田 了で
す。切江修道士さんと同年齢で修練は一緒、
鈴木神父さんよりは少し年上ですが、叙階は
2年後輩です。
生まれは東京、下町の葛飾区堀切で、かつ
ては江戸時代からの菖蒲園がいくつかあって、
花菖蒲の頃には訪れる人も多かった町です。
現代では葛飾区というと「フーテンの寅さん」
の柴又や「こちら亀有公園前派出所」など、
東の江戸川沿いの方が有名ですが、堀切は葛
飾区の西を流れる綾瀬川沿いの場所です。
高校生の頃からは電車通学ですが、電車が
川を渡ると、車窓から東京電力の旧「千住火
力発電所」が見られました。その頃には、も
う石炭の時代は終わり、発電所も廃止されま
したが、4本煙突は残っていました。これは、
通称「お化け煙突」とも呼ばれました。4本
の煙突が菱形に配置されていたため、電車の
窓から眺めていると、角度によって4本が3
本に見えたり、2本に見えたり、1本にも見
えました。煙突の配置と見る側の位置によっ
て、その見える本数が変わるのです。位置に
よって、その姿が変化するように見えるのは、
どこか象徴的で考えさせられるものがありま
す。
コンクリートの煙突でさえ、見る人の立つ
位置によって異なって見えるのであれば、生
きているものはさらに異なって見え、とりわ
けイエスさまについてそれが当てはまります。
新約聖書に記されている、イエスさまを巡
るユダヤ人たちの間での意見の相違は言うま
でもなく、その後のキリスト教の歴史におい
て、また過去だけでなく現代でも、非キリス
ト者との間どころかキリスト信者の間でも、
イエスさまについての解釈と評価はバラバラ
なのです。もっと推し進めれば、同じキリス
ト信者同士の間どころか、同じ自分自身の中
でも、年齢と経験が増すに従い、また状況が
変わったり、あるいは、天気が変わったりす
るだけでも、イエスさまについてのとらえ方
が変化していることに気づかされます。でも
それは、なにも嘆く必要のないことで、イエ
スさまの方がわたしたちとともに歩み、先導
してくださっていることに気がつけば、素直
に納得できます。
自分の小さな頭で、自分の理解の枠組みに、
イエスさまを無理に押し込めようとするので
はなく、生きておられる方にすべてを委ねる
生き方を身につけることが肝要なのです。イ
エスさまだけでなく、わたし自身も「お化け
煙突」以上に変化して見られているのに、気
がつかなければならないでしょう。
渡り鳥
間野 正孝 神父
以前住んでいた旭川神居修道院では、毎年
10月中旬から11月初旬にかけて修道院上空に
数十羽の渡り鳥が北から南に飛んでいくのを
見掛けていました。いつも見慣れているスズ
メやカラス、カモメやトンビと違い、優雅で
美しく規律正しいⅤ字型の飛び方は、見る者
の心を和ませてくれます。ある晴れた日の夕
方、渡り鳥の群れ(40〜50羽くらい)を数回
見る機会があり、その時はとても心和む時間
を過ごしました。
北海道には数多くの渡り鳥が飛んできま
す。その中で秋から冬にかけて飛来してくる
のが白鳥(ハクチョウ)やガン等です。初め
て神居修道院上空に白い大きな渡り鳥(タン
チョウ?)が群れをなして飛んでいるのを見
掛けた時はとても興奮し、携帯電話で写真を
撮ろうとしましたがダメでした。その後、タ
ンチョウと思っていた大きな白い鳥が全身
真っ白であることに気付き、白鳥だと知りま
した。しかし、白鳥の優雅さは何度見ても興
奮し、遠く見えなくなるまで群れの姿に見
入ってしまいます。
札幌に来て3回目の秋を迎えていますが、
タイミングが悪いのかどうか分かりませんが
カラスやスズメ等は毎日見掛けるものの白鳥
は見たことがありません。
月に1度、旭川から稚内や北見枝幸に行っ
ていた時、稚内の大沼湖や浜頓別のクッチャ
ロ湖に寄っては大自然の素晴らしさや渡り鳥
を見に行っていました。特に10〜4月にかけ
てこの2つの湖には何百・何千羽の白鳥やガ
ンが飛来し、とても壮観です。しかも野生で
あるにもかかわらず人慣れしていて近付いて
も逃げようとしません。
北海道の至るところで、渡り鳥が田畑で羽
を休め地面に落ちた稲穂等をついばんでいる
姿を見掛けますが、近付くと逃げてしまいま
す。どうして湖と田畑では違うのだろうと疑
問を持ってしまいます。
遥かロシア極東から何千キロという距離を
移動し、毎年同じ地に飛来してくる渡り鳥。
地図もなければナビゲーションもないのに、
どうしてその場所が分かるのでしょう。これ
は鮭(サケ)にも言えること。鮭は自分が生
まれ育った水の匂いが分かるので、必ずその
川に戻ってくると言われています。鮭の本能
だから当たり前と言えばそうですが、よくよ
く考えてみると実に不思議な習性です。
北から南へと命を懸けて何千キロという道
のりを飛んでくる白鳥。神を信じる私たちも
群(教会)と共に、イエスを先頭にV字飛行
で目的地に向かって歩み続けていきましょう。
教会報「ふらんしすこ」11月23号巻頭言より
貴重な体験 アンドレア 鈴木 央 神父
私には2人の子どもがいる。1人目は、田
舎の教会の主任司祭だったころ、3人の女児
の下に生まれる、男児の名前を考えてくださ
いとの申し出で、名付け親になってほしいと
言うのだ。3人はそれぞれノア(乃亜)、エリ
(恵理)、ミカ(美香)という聖書由来の2文
字発声の名前である。私も聖書から、荒野の
地名であるシン(信)と名付け、我ながら満
足できたし、ご両親にも喜んでもらえた。
2人目にはドラマがある。ある農業青年
が、研修でハンガリーに行った。そこで現地
の女性を見初め日本に連れ帰った。彼女は町
で噂になるほどの、原色のコーデとお化粧
だった。日本語も学ばず、日本に馴染まな
かった。時々、ミサに来たので、既に生まれ
ていた女児を、幼稚園に受け入れたりもした。
そのうち、2人目を妊娠。故国に帰って男児
を出産した。手紙が来て「ゴッド・ファー
ザーになってほしい」という内容だった。司
祭は普通、代父を引き受けないが、不在でも
可能なので「アンドレア」と名付けた。
ここからは出産にまつわる話である。私か
ら洗礼を受けた青年が、信者さん経営の家具
製造会社で仕事中に、指を飛ばして即入院し
てしまった。奥さまは出産予定日1週間前
で、彼は施設出身で彼女も頼るところがな
い。仕方なく教会で預かることにした。2日
目の夜中、内線が入って「破水しました」と
の知らせ。すぐにかかりつけの病院へ連れて
行った。看護師さんに「私は神父で、この人
は信徒で…云々」と、言わなくてもいい説明
をしたら「まだ生まれませんよ」と看護師に
笑われた。翌朝、別の看護師に夜中の反省も
あって説明しないでいると、分娩準備室に通
された。どぎまぎした。
もう一つの話。NHKの、名のある番組の
アナウンサーに洗礼を授けた。初産の奥さま
の陣痛が始まり、いよいよその時が近付いて、
ご主人は放送局から、私は出先から病院に急
いだ。移転前の古い病院で、分娩室の声が聞
こえてくる。やがて、新生児に面会でき、そ
の後、ご主人のもとに助産師が来て「奥さま
にお会いになりますか」と言った。彼は「一
緒に来て祝福してください」と言う。まだ生
暖かさが残る、厳粛な空間だった。
教会の司牧生活の中に、期せずして、貴重
な体験が待っている
教会報「ふらんしすこ」9月21日号巻頭言より
選び直し
山谷 篤 神父
私は二〇〇〇年の大聖年に司祭に叙階され
ました。今年は通常聖年ですが、ちょうど叙
階から25年の銀祝を迎えます。今年の私の
テーマは「選び直し」ということでしょう
か。修道生活に入るときには、はたして自分
に務まるのか? 本当に召命があるのか?
いろいろ悩んで未知の世界を選びました。こ
れが最初の選びです。
しかし、修道生活の中に入るといろいろと
現実が見えてくるわけです。結婚生活も同じ
かも知れませんね。こんなはずじゃなかった
とか、思い描いていた理想と現実は違うわけ
です。そこで私たちはこの現実をもう一度選
び直す必要が出てきます。これが選び直しで
す。この選び直しは未知のものを選ぶのでは
なく、もう十分分かっている現実を選ぶこと
です。皆さんの四旬節の歩みも同じことでは
ないでしょうか。私たちは洗礼を受けました
が、この洗礼の恵みをもう一度選び直す歩み
なのではないでしょうか。
四旬節第1主日の福音はパンの誘惑、高い
山での誘惑、神殿での誘惑の3つの誘惑のお
話です。今年はC年ですからルカ福音書が読
まれます。ルカとマタイはほぼ同じ内容の誘
惑のお話を載せていますが、微妙に違っても
います。
大きな違いは3つの誘惑の順番です。マタ
イはパン↓神殿↓山となっていますが、ルカ
ではパン↓山↓神殿の順番で、山と神殿の順
番が入れ替わっています。
このルカ福音書の順番は、イエスの生涯の
出来事と対応しています。パンの誘惑は、イ
エスが5000人にパンを与える奇跡のお話
と。高い山のお話は、イエスのご変容の場面
と。そして最後の神殿から飛び降りる誘惑
は、イエスの十字架の場面、とくに「ユダヤ
人の王なら自分を救ってみよ」という言葉に
対応しているでしょう。
つまり、ルカは神殿の屋根から飛び降りる
誘惑を十字架の場面と結び付けているので
す。そして、ルカ福音書はこの最後の神殿に
特別な意味を見ているのです。
ルカ福音書の冒頭は、神殿で香を焚く祭司
ザカリアのお話から始まっています。そして
福音書の最後は弟子たちが「絶えず神殿の
境内にいて、神をほめたたえていた。」と終
わっています。つまり、神殿で始まり、神殿
で終わっているのです。そこには、旧約の祭
司の時代から、新約の新しい礼拝の時代が始
まったことが示されているのです。つまり神
殿とは、イエスの十字架によって開かれた人
間と神様との交わりであり、神と人との新し
い関係を象徴しているのです。
イエスは旧約時代を否定しているのではあ
りません。むしろ、旧約によって結ばれた神
と人との関係を新しくされたのです。
私たちはこの四旬節に、洗礼によって神の
子とされたその恵みをもう一度選び直し、神
様との新しい関係を生きるように召されてい
るのです。
教会報「ふらんしすこ」3月23日発行巻頭言
携帯電話
間野 正孝 神父
主のご復活をお喜び申し上げます。今年の
ご復活はどのように迎えていますか?
2025年度が始まりました。皆様にとっ
て昨年1年、固定電話や携帯電話を使って何
度お話をされたのでしょうか?
今の時代、小学生からお年寄りまでたくさ
んの方々が携帯電話を持ち、さまざまな場所
で電話ができるようになりました。そのた
め、常に携帯が身近にないと不安に駆られ
「携帯依存症」という言葉も出ていると聞き
ます。皆さんはいかがでしょうか?
約35年前、携帯電話が私の周りでも使われ
だした時、公衆電話ボックス前で通話してい
る人を見かけ、その人の気持ちが理解できま
せんでした。というのも当時の公衆電話の料
金が3分10円に対して携帯電話は約10秒前後
で10円という、公衆電話の何十倍の高い料金
だったからです。「目の前に公衆電話がある
のに…」と。
料金が高い。携帯に縛られて自由がなくな
る。固定電話や公衆電話で十分連絡が取れる
等々の理由で私自身しばらく持ちませんでし
たが、しかし時代の流れと共に…。
その理由の1つが公衆電話の減少です。あ
る外出時、連絡を取ろうとして公衆電話を探
しましたが、見つけるのに30分以上かかり、
相手に大変な迷惑を掛けてしまいました。そ
れを機に携帯(ガラケー)を購入しました。
公衆電話が減った要因も携帯が増えたためと
思います。
携帯電話と言えば以前、面白いユーチュー
ブ動画を観たことがあります。
アメリカの教会で荘厳に結婚式が行われて
いる最中、司式者である神父様のポケットの
中の携帯が大きく鳴りだしました。神父様
はおもむろに携帯を取り出し誰かと話しだ
します(普通では考えられない非常識な行
為)。しばらく話して電話を切り、神父様が
一言『今、ある方からとても大切な連絡が入
りました。その方は次のように言っていまし
た「今、結婚式を挙げているお2人の上に父
と子と聖霊の名によって天国から祝福を与え
る。幸せな家庭を築いて下さい。イエスよ
り」』と。新郎新婦をはじめ眉間にシワを寄
せていたご両親、参列の方々は皆喜びの笑顔
になり、とても和やかな雰囲気に変わりまし
た。アメリカンジョークですが『この神父な
かなかやるな』と感心しました。もしこのよ
うなことが日本で起きたならどうでしょう?
スマホ、アイフォン、タブレット、ライ
ン、フェイスブック、インスタグラム、ズー
ム、ログイン、パスワード、パソコン等々の
カタカナ文字や言葉が飛び交っている現代、
この神父様のように携帯電話を通して、喜び
の笑顔へと招く福音の道具として今年も使い
たいものです。
教会報「ふらんしすこ」4月20日発行巻頭言
フランシスコ会全国侍者集会
チャン・タン・ラム神父
今回は全国侍者集会について書きたいと思
います。3月 28日〜 30日まで東京・田園
調布の聖フランシスコ修道院において第13
回全国 侍者集会が行われました。今回参加し
た侍者 は札幌カトリック北十一条教会2人、
長崎カトリック本原教会から2人でした。2
人の小 学生、1人の中学生と1人の高校生で
す。少 ないですが、良かったです。
侍者集会では侍者のために必要な動きや典
礼の知識などを学びました。3月28日の初
日は、動き方、息を合わせるなどのプログラ
ムの後、侍者服の祝福と翌日からの研修と典
礼 奉仕のために祈りました。
3月29日は朝7時からの祈りに続き朝食
を挟んで、講義Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・実践のほか、実
際 にミサの中で自分の担当の部分で典礼奉仕
を行い、翌日の四旬節第4主日ミサの練習を
して寝る前の祈りまで、長い1日のプログラ
ム を消化しました。
3月30日の最終日は、7時半から大聖堂
で桑田管区長が四旬節第4主日ミサを司式し
ました。その後にテストをして満点でした。
午後から動作の確認や最後の練習を行い、3
時 に東京大司教区教区長・菊地枢機卿司式
の叙 階式ミサで奉仕しました。ミサが始まり
、皆 自分の役割をきちんと果たしました。
ミサの 終わりに認定書の授与が行われ、初級、
中 級、上級などの認定書を受け、ミサ終了後
の 記念撮影後に散会しました。皆は楽しくて
『おめでとうございます』と言われました。
帰る前に、皆でルカ小見戸神父様の叙階式
を祝うパーティーに参加しました。
カトリック教会の侍者とは何でしょうか。
正式には「祭壇奉仕者」と呼ばれ、ミサや集
会祭儀において神さまと人々に奉仕する人の
ことです。典礼が行われる場で、典礼で用い
られるもの(パンやぶどう酒、祭器や祭服な
ど)の準備をし、集まった人々が心を合わせ
て祈ることができるように司祭の手助けをす
る役割を持っています。多くの方が典礼奉仕
に携わることができれば素晴らしいことで す。
特に若者が侍者をすると、ミサ全体に若 い息
吹が吹き込まれるというか、みずみずしい雰
囲気があふれるというか、ミサがさらに素晴
らしいものとなると思います。本当に大きな
喜びです。
今回は初めて侍者集会に参加していろいろ
なことを学びました。一番素晴らしいことは
「♪世界のみんな 兄弟さ 話す言葉違っても
主に向かう心はみんな同じ こどもだから
♪」です。神に感謝!
教会報「ふらんしすこ」5月25日発行巻頭言
